I have LOST
2013/07/13
やりきれない気分にさせるニュースは様々ありますが、その中でも子供の自殺に関するニュースはほんとうに出口の見えない気分にさせます。原因はまたしても“いじめ”。 こういう事件を耳にすると私たちはすぐ、「いったい何を見ていたのか」と学校側に責任を求めたくなります。しかしこれは以前にも書きましたが、高校で顧問をしていたクラブでいじめが発生していた時、私は当該の生徒から相談を受けるまで全く気づかなかったのです。「おとなしい性格の生徒なんだ。」と考えていたのです。彼のお母さんの言葉は忘れられません。
「この子に『生まれてこなければよかった』と言われた時の母親の気持ちがわかりますか。」
そんな苦しみを抱いていた生徒を「内気な生徒」という判断で済ましてしまっていたのです。
先生は気づいてくれない。本人も仕返しや“シカと”が怖くて相談できない。では周囲の生徒たちはどうなのでしょうか。これも以前書いたことですが、「彼らも問題の放置を決して望んではいないはずです。」
現在、中学2年生は社会の授業で「江戸時代」を学んでいます。先日テキストの中の『絵踏』の記述が目に入ったとき、悪寒が背中を走りました。(ちなみに、私はクリスチャンではありません)
「絵踏」はキリシタンをあぶりだすために行われた、というのも事実かもしれません。でもなぜ毎年お正月に村中が参加させられたのか。キリシタンを発見するためというより、キリシタンにマリア様の姿を踏ませることが目的だったからです。「たとえキリシタンであっても、踏むことができれば見逃してもらえる。村という閉ざされた体制の中でこちら側にいたいのならば、これを踏むしかない。」
「誰かがこっそり教えてくれるはず」と書きました。青臭い理想論でした。いじめについてクラスの誰も何も言わなかったとしても、その限定的な人間関係の中で、こちら側にいたいという子供たちの思いを責めることができるでしょうか。それは協調性や和を大切にする日本人の精神文化が悪い形であらわれてしまったものだとも考えられます。極端な例かもしれませんが東日本大震災の時、東北の人が世界に示した美徳も、背景にあるのはこれと同じ精神文化なのかもしれないのです。
だんだんわからなくなっています。もっともっと勉強して、もっと考えないといけません。