ひかりごけ
2013/09/07
『風立ちぬ』をもう一度観てきました。前回は予備知識が全くない状態での鑑賞でしたが、今回は話の流れも結末の初めからわかっているので、ある意味安心して作品を味わうことができました。「風」をもう一度、しっかりと感じたくなったのです。
作品全体の中で常に吹き続ける「風」、あの時代、ほかの生き方が許されない「風潮」の中でも夢を追い求める若者、そして「風」のようにさわやかに生きた女性。思い出すとまた気持ちがフワフワしてきます。
でも、あの時代の日本は世界恐慌の余波を受け、さらに政策の失敗も重なり金融恐慌、昭和恐慌と経済がどん底に向かっていました。そんな時代のお話です。映画とは関係がないけれどやはり思わずにはいられません。彼らはなぜあの戦争を止められなかったのでしょうか。やはり、貧しさゆえなのでしょうか。
映画館で本編が始まる前に、これから上映される予定の映画が次々と紹介されます。「おしん」「許されざる者」は貧しさの中での人間模様を描いた作品のようです。そして仲代達也の「日本の悲劇」。
話は変わりますが20年以上前、バブル経済まっただ中でした。まだ何もわかっていない若いころのことです。ある居酒屋で10歳ほど年上の在日韓国人の方と知り合い、飲み友達になりました。ある日彼が話してくれた貧しかった子供時代の話は忘れられません。私たち日本人は現代社会の豊かさに慣れ、失ってしまったものへの郷愁からつい昔にそして貧しさにさえある種のあこがれを抱きます。だけどその方の話してくださった貧しさという地獄、情けなさ、そして「貧乏なんか、荒んだ人間になるだけだ、絶対に経験しちゃいけない」という言葉は忘れられません。「貧しくても、心豊かだった毎日」という言葉は矛盾なのでしょう。本当の貧乏は心を豊かになんかしてくれません。
さて現在、私たちは心豊かに生きるために - 豊かな社会を維持するために、二酸化炭素を大量に放出します。原発を推進します。年金詐欺をします。子供を売ります。戦争をします。植物を摘み取りその実を売ります。動物を殺しその肉を売ります。
劇団四季の「ひかりごけ」を思い出します。