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自分勝手な言い分かもしれませんが

自分勝手な言い分かもしれませんが

2013/09/16

 柳田邦男著 『犠牲-わが息子・脳死の11日』 を読みました。久しぶりにとても強い感銘を受けました。

「脳死」は人の死なのか。この大きなテーマについて浅学な私がここで何かを述べるといった愚を犯すつもりはありません。そうではなく、臓器移植について考えてみたくなったのです。


 もう半年ほど前になりますが、本当に久しぶりに献血をしました。名古屋駅で小さな用事を済ませた後、少し時間に余裕があったのと、献血センターが近くにあることを思い出したからでした。

 献血は誰かの命を救うことに役立つのだと思います。それはとても気持ちの良いことです。もちろん臓器移植も誰かの命を救うのですが、今ちょっと気軽に・・・はできません。失うものが大きいからです。

 骨髄バンクのドナー登録もしていません。骨髄を提供することには何の抵抗もありませんが、移植をするには数日間入院が必要であり、個人事業の塾経営者としてはなかなか踏み切れません。


 『犠牲-わが息子・脳死の11日』を読み終えた今、献血や骨髄移植、角膜を含む臓器提供、私はこれらを人間としての権利だと考えたくなりました。私たちにはそれが全くの他人であっても誰かのために力になれることを自身の大きな喜びにする力が生来のものとしてに備わっている、と信じています。ただし、それによって失うもの、失うであろうもの、失うかもしれないもの。それらを天秤に乗せた時、行動に移すことは簡単ではなくなります。今、心臓の提供なんかできるわけがありません。しかし、例えば心臓の提供をしてもほとんど何も失わない場合があるとしたら。


 万が一の時、私は自身の身を犠牲にして誰かを救うつもりはありません。私自身の権利として、一つの望みとして誰かの命を救う力になりたいのです。その時には、臓器移植法も私の思いを実現してくれるチームの一つになるのだと考えています。身勝手な考え方かもしれませんが。

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