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絆(きずな)

絆(きずな)

2014/02/01

 Gyao!で 『明日、ママがいない』 の第3話が配信されていました。ニュースで目にしていましたので興味本位で視聴しました。とても面白かったし、テーマも結構重いものですね。内容の問題点が指摘されているようですけれど、今回見た限りではそれほど問題視されるような番組とは思えませんでした。しかし専門家の方々が問題あるとされているのだからやはりそうなのでしょう。

 ただ、施設で子供たちの世話をしている男の人がちょっと乱暴ではありますね。

 私も一人の教育者として、日々子供たち・若者たちに接しています。心からの愛情を持って毎日彼ら彼女たちに接しています。教育者という生き物は生来他者に贈ることのできる愛情をほかの人より多く備えているのかもしれません。ただ、その表現方法は教育者により様々です。

 さて、人間愛・隣人愛・家族愛・兄弟愛・そして、男女の愛。これらはまとめて「絆(きずな)」と呼ぶこともできるはずです。そして絆は人間同士だけのものではなく、人間と動物、さらに動物と動物の間にも存在するはずです。極端な説明になるかもしれませんが、弱肉強食の大自然では、生態系そのものががっちりと結びついた絆です。そう考えると弱肉強食も「愛」の一形態とも理解できます。しかし実際の話、食べられるシマウマと、それを食べるライオンの間に明確な愛があるなんて、単純には納得できません。

 そしてそれと同じように、生徒を大声で叱り飛ばす教師や、息子を殴る父親の姿にも、そこに愛があるなんてなかなか素直に納得できません。でもそこにはやはり絆があり、愛があるのです。ただし人間の場合、それが本当に愛なのか、立場の強いもののエゴなのか。前者であれば厳しくても「躾」であり、後者であれば「虐待」、「パワハラ」です。

 それでは、何がそれを分けるのでしょうか。現実問題として分けることはできません。だから教師は生徒を叱るべきではない。親は子供を殴ってはいけない。ほめること、それだけが『愛』。

 でもね・・・

 高村光太郎の『冬の詩』の一節です。


ああ、そして人間を感じろ

愛に生きよ、愛に育て

冬の峻烈の愛を思へ、裸の愛を見よ

平和のみ愛の相(すがた)ではない

 平和と慰安とは卑屈者の糧だ

ほろりとするのを人間味と考へるな

それは循俗味(じゆんぞくみ)だ

 氷のやうに意力のはちきる自然さを味へ

いい世界をつくれ

人間を押し上げろ

未来を生かせ

人類のまだ若い事を知れ

ああ、風に吹かれる小学の生徒よ

 伸びよ、育てよ

 魂をきたへろ、肉をきたへろ

 冬の寒さに肌をさらせ

 冬は未来を包み、未来をはぐくむ

 冬よ、冬よ

躍れ、叫べ、とどろかせ

 

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