「卒業」を(たびだち)と呼びたいので一言
2014/03/02
「個性」が大切にされる世の中です。教育機関も「個性を伸ばす」の大合唱。でもね、私は中学生や高校生の個性を認めないのです。でもそれは、「君たちに個性がない」とか、「個性など不必要だ」とかいうことではありません。「個性」だと君たちが認識しているもののほとんどすべてが(一部の天才は例外ですが)、誰かの・何かの“真似”であることが多いように感じられるからです。君たちの個性はまだ内側でその時を待っていて、表面には出ていないはずなのです。
君たちは高校を卒業し、大学・専門学校へ、また社会へと活動の場を移すことになりました。君たちには、これまでにはほとんど感じる必要のなかった「人」としての自由と、『人』としての責任が与えられるのです。活動範囲は24時間、舞台は町内・県内ではなく世界です。その中で君たちは自身を磨き、時には削り、傷つきながら自分を表現し、その過程で個性を発揮していくのです。今まで個性だと思っていたものを、個性だと信じていては発展はありません。それは待っていればやってくるものではなく刻苦、克己のみがその開花を可能にします。
人生を懸けるに値する旅立ちの始まりです。