若かったんでしょう
2014/08/23
東海中学校・高等学校柔道部創部100周年記念誌に原稿を依頼されました。こちらでも紹介させていただきます。中学高校時代の思い出を自省をこめて書かせていただきました。
全国大会出場の連続記録が「17」で止まりました。勝てないことは初めからわかっていたので、悔しくもなかった。今ではどんな試合内容だったのかまるで覚えていません。
「なんだったんだろうこの5年間は・・・」
中学1年生、身長が170センチの私は柔道部に強く勧誘していただき、初めて柔道着を着ました。しかし入部早々に右手の指2本を骨折し、見学ばかりの毎日でした。
同級生や先輩たちの微妙なヤル気とは対照的に、高校生の先輩たちが熱心に練習に打ち込む姿勢は流石というか見事ですらありました。だからこそ、ただ時計係りばかりの毎日でしたがその見学はしっかりと「クラブ活動」でした。
中学2年生でレギュラーとして試合に出させていただきました。夏の全国大会愛知県予選。審判の納得できない判定で敗退、全国大会に出場することはできませんでした。泣いている先輩もいましたが、あんな練習で何を悲しむんだろうと不思議な気持ちで見ていた自分を思い出します。
中学3年生、この年から中学校にも個人戦が導入され、優勝候補の一人として出場しました。結局3回戦で敗退。団体戦も優勝できませんでした。この時もなんの悔しさもありませんでしたっけ。だって同級生で真剣に柔道やっているのは・・いたっけな。
でも中学3年生から私のクラブ活動への取り組みは変わっていました。高校から入部された先輩方の柔道に対する情熱に触発され、一緒に練習させていただきました。
高校2年生、春の武道館・そして夏のインターハイへとコマを進めることができ、東海高校柔道部は17年連続全国大会出場をはたしました。
しかし高校3年生、今考えると少し不思議な気もするのですが、私の学年とその下の学年は部員の補強がありませんでした。2学年下からは毎年数人ずつ補強され始めましたが、私が高校3年生の春にはレギュラーの中で真剣に柔道やっているのは・・いたっけな。
愛知県予選の個人戦では、決勝でかけた巴投げが決まらず、あろうことか相手の有効ポイントになる始末。さすがにこのときは悔しくて仕方がありませんでした。
「周りにいるヤル気の微妙な部員たち、補強してくれない先生たち、揚句はちゃんと見てくれない試合の審判・・・なんだったんだ、この5年間は!」
・・・と、私は独り、おろかに勝手に吹き上がっていました。ガキだったんでしょうね。