青へ
2016/11/30
稲刈りの終わった田んぼ道をぶらぶら歩くことが好きです。整然と並んだ稲の名残が、大きな仕事を終えていかにも誇らしげに見えるのです。そして、育んだものが離れていった寂しさを語ることなく語っているように見えるからです。卒業式を終えた日の教室に並ぶ机や、職員室でふと言葉が途切れるあの一瞬の空気を思い出させてくれるからです。でもよく見ると、新し実りのための準備がすでに始まっています。
校舎の渡り廊下で、北風に身をかがめながら往来する生徒たちを、職員室の窓から眺めることが好きです。完璧な安全が保障されている空間の中で、大自然の風の冷たさに屈託のない笑顔で文句ばっか言ってます。彼らのそんな瑞々しさがいつまでも続いくことを信じさせてくれるからです。
強い雨が教室の屋根や窓をたたく音と、皆さんがペンを走らせる音のハーモニーが大好きです。限定された空間の中にはじける無限の生命に触れる瞬間を感じます。
欺瞞や背徳や混沌の満ち満ちた現代社会の中で、子供たち、若者たちの成長はまさに『清涼』そのものです。いったいいつから月日を重ねることが『混濁』へとそのベクトルを歪めてしうのでしょう。
彼ら、彼女たちが高校生活を終え社会に出るまでに、生きるために必要な戦いの手段を授けるのが教師という仕事なのだけれども…。教師としてその前に立つときの、取り戻すことができないものへの絶望的な憧憬と、汚れたものが清らかなものの前に立つという一種のうしろめたさ。一種の敗北感。
今はただそんな不愉快なことは頭から振り払って、 朋に道を求める者として生徒の皆さんと接していこうと頑張っています。
来月はもう新しい年です。毎年恒例の役に立たない「一年の計」はすっぱりあきらめて、今年のうちに一年を振り返ってみました。