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佳く生きる

佳く生きる

2017/01/29

 『弥生・二月』冬が終わり、暦の上では春。新しい生活を始める準備の時。だから、いま改めて「佳く生きる(よくいきる)」とは何かについて、私の考えをおさらいしておきたいと思います。

 私が初めてその言葉に接したのは中学2年生のころに読んだ、ジッドの『狭き門』という小説の中でした。作中の少女が語ったその言葉を正確に記憶しているわけではありませんが、ただこんな内容のはずです。「神は常に私たちにとって正しいことをされる」と。拙い文章のために誤解が生じる事を避けるためにここでは書きませんが、明治・大正期の激動の時代を生きた内村鑑三氏のエピソードはその壮絶さゆえに確かな説得力があります。

 別にキリスト教を信奉しているわけではありませんが、「情熱と挫折」が私の人生の代名詞であるだけに、その言葉に縋りつきたいだけなのかもしれません。今でも時々天を見上げては一息、「ふう」とやります。でも、上の言葉は常に私のそれこそ私自身の中にありますので、すぐ次の行動へと進みます。

 失敗とは物事をあきらめた時に本当に「失敗」となる、と語ったのは発明王エジソンでしたでしょうか。だから、あきらめない限り失敗しても本当の「失敗」にはならない。では皆さんには何をあきらめないでほしいのか。それこそが「佳く生きる」なのです。そして「佳く生きる」とは、一つ一つの事象・事案に「向上心」という伝家の宝刀を構えて臨むことです。ただこれがいつでもできるのであれば理想的ですが、なかなかそうもいきません。そう、明治大学の斎藤教授が書いていたではありませんか。「向上心を技にする。」つまりいつでも必要な時に出すことができればそれが「技」であると。そして技は、長い月日をかけて磨き続けるものなのです。

 佳く生きるものにとっては、これまで経てきた成功も失敗も紆余曲折も波瀾万丈も歓喜も絶望も、すべて一つ一つの経験にしかすぎません。私たちはそこから多くを学んできたはずです。全力で挑めばどんな結果であれそれは、神様が、いや天が、いや宇宙の摂理そのものが私たちを「佳く生きる」へと導くための采配なのではないでしょうか。

 「これまでの人生で一番楽しかったのはいつですか?」。私の答えはいつも同じです。「今でしょ!」(ん、古いか?)

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