一人歩記
2022/06/20
英語教師になる前にオムライス専門店の雇われ店長をしていたことがあります。食べ物屋さんはどこでもそうでしょうけど、やはり清潔であることが一番です。その時の経験から今は、まあ、きれい好きな方でしょうか。
きれい好きな人とそうでない人は何が違うのでしょうか。そもそもきれいが好きでない人はほとんどいないでしょう。それでは、きれい好きとはどんな人かというと私はこう思うのです。きれいにするための手間から被る不愉快と、汚れたままにしておくことからの不愉快とを天秤にかけたとき、後者の不愉快が勝る人なのだと思います。
これが、英語の長文を読むときも同じで、長文読解の力が伸びる人と伸びない人の違いもスタート段階ではそこにあると思うのです。単語がわからないとき、(意味を類推することも大切ですが)英和辞典を引く手間も嫌だけど、わからないまま放っておきたくない。英文の意味が解らないとき、質問して理解するまでのプロセスから生じるであろう面倒よりも、読めないままにしておきたくない。そういう人が伸びるのでしょう。
でもそこで大切なことがあります。掃除ではいかに手際よく、手間を最小限にしてきれいにできるか。英単語や長文読解であれば、いかに手際よく最小限の手間で単語や文章の意味を調べられるか。これは先天的に(?)得意な人もいます。でもそうでなくても先人のアドヴァイスに沿って地道に努力すれば自ずと身につくものです。私が、まあそれなりにですが、きれい好きになれたくらいですから、間違いない。